海上ヘリ基地反対
その1(1997/05/31)
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96年12月に日米両政府による合意によって、沖縄県中部の普天間市にあるアメリカ海兵隊普天間基地が日本に返還されることになりました。しかしながら、アメリカ政府はその見返りに基地機能を維持するために代替地を要求、日本政府はその候補地として県内の他の地域に基地機能を移転することで応じることになりました。その候補地として県内の何カ所の地区のうち、沖縄県北部の東海岸にある海兵隊基地キャンプシュワーブが最有力候補として持ち上がってきました。 |
| 日米両政府のこの動きに対して、沖縄県太田知事は現在の所、日本政府と受け入れ地区の間の問題として仲介を拒否。受け入側自治体の名護市は97年4月に受け入れ容認の立場を明らかにしました。しかし、キャンプシュワーブの地元にあたる辺野古区などでは住民が反発。今ある基地に加え、さらに新しい基地を受け入れることはできないという住民の声が高まっています。 | ![]() |
海と風の宿の前に面する大浦湾は波のあたらない静かな入江で、ここにある瀬嵩ビーチはとても美しい砂浜です。宿のヨットはいつもこの海岸で楽しんでいます。しかし湾の向こう側の岬の上にはキャンプシュワーブの建物が並んでいるのが見え、夜ともなるとオレンジ色の照明に照らされています。この静かな海を海を埋め立てて、ヘリポートを作ろうというのが日米両政府の合意による代替ヘリポート案なのです。この静かな海の上をヘリコプターの爆音がとどろくのかと思うと住民にとっては大問題です。海と風の宿の主である成ちゃんんとってもこれは許せないことです。さっそく成ちゃんの行動が始まりました。
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名護市長と僕の最も長い一日
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●1997年4月18日。僕はこの日を忘れない。
2度に渡る市民大会で「断固ヘリポート基地建設反対」を唱えていた比嘉鉄也名護市長は、4月9日、突然市民を裏切り、建設調査容認の言動。市議会決議・83%の市民の意向(新報調査)・地元区長会意見書など、全てを無視しての暴走。全く信じられない。当日、市議会では、野党の話しあいは延々と続き、結局流れた。
市長は単独でマスコミに発表するらしい。僕もあわてて移動。市長室前では、組合の人達が、彼に面会を求めて座り込みをはじめた。組合だけではまずいなと思っていた。気づいたら、いつのまにか、僕もその輪に入っていた。
市長室のドアを挟んで、駆け引きが続く。「10分だけ」「妥協しないで座り込もう」−−−−交渉の度、円陣をはる。瞬時の判断。読み。胸がドキドキする。意識の一片が、歴史と触れている手応え。
僕は汗が出ない障害があり、マスコミ包囲の熱気のなかで相当体力を消耗していた。気合いを入れるため、双子の娘がヘリ事故で死ぬ事を思い続けた。漸く交渉がまとまる。ついに市長室に入る。与党議員の罵倒。
僕は市長に、ありったけの怒り、苦しみを訴えた。普段の彼とは事なり、暗く生気のない顔で、目を閉じていた。−−−−数分後。彼は名護市の未来に影をさす、歴史的な発表をした。
今の名護市に民主主義はない。しかし、僕は今日やりきった手応えを感じていた。
気持ちはすっきり、爽快だ。『自分達の未来は、自分達で決める。これから思いっきりやるぞ。』
●1997年4月18日。比嘉鉄也名護市長と僕にとって最も長い一日だった。

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